教育現場から政界へと転身し、日本維新の会で2期にわたり国会議員を務めた椎木保さん。
教員、行政職員、そして政治家と、多彩なキャリアを築いてきた椎木さんの波乱の半生を追っていきます。
58年の人生で何度も転機を迎え、その度に新たな挑戦を続けた学歴や経歴について調査していきます!
椎木保のプロフィール
名前:椎木 保(しいき たもつ)
生年月日:1966年7月4日
出身地:東京都江戸川区生まれ、茨城県育ち
現住所:千葉県浦安市北栄3丁目
最終学歴:東海大学教養学部
前職:山一證券従業員・国家公務員
1966年7月4日、東京都江戸川区に生まれた椎木保さんは、茨城県で幼少期を過ごしました。
鹿島灘高校から東海大学教養学部へと進学し、卒業後は山一證券に入社します。
しかし、わずか半年で退職し、教員として新たなキャリアをスタート。
その後、鹿嶋市役所を経て、日本維新の会から衆議院議員へと転身しました。
千葉県浦安市マンションで生活を送る椎木さんは、一人暮らしをしていたとされます。
関係者の話によると、妻と2人の子供がいるとのことですが、詳しい家族構成は明らかになっていません。
2016年のイベント参加時には結婚指輪をしていなかったという情報もあり、家族との関係性は不透明な状況です。
椎木保の学歴
椎木保さんの学歴は
小学校:不明
中学校:不明
高校:茨城県立鹿島灘高等学校
大学:東海大学教養学部
となっています。
小学校や中学校については明らかにされていません。
椎木保さんは中学校卒業後、茨城県立鹿島灘高等学校に進学します。
鹿島灘高校は、鹿行地区唯一のフレックススクール(定時制・普通科)として知られています。
午前部・午後部・夜間部という3つの部があり、生徒は自分の生活スタイルに合わせて通学できる特徴がありました。
高校時代の椎木さんは野球部に所属し、この経験が後の教員時代に活かされることになります。
高校卒業後は、東海大学教養学部へと進学しました。
大学時代の椎木氏は、新聞配達のアルバイトをしながら教員免許を取得するなど、勤勉な学生生活を送っていました。
もしかしたら、大学でも野球を続けていたのかもしれませんね。
椎木保の経歴
椎木保さんの経歴は
1989年4月:山一證券に新卒入社
9月:山一證券を退職・茨城県内の公立中学校教員として着任
1994年〜2012年
鹿嶋市教育委員会 課長補佐
鹿嶋市役所 国保年金課 副参事
行革や年金業務を担当
2012年
維新政治塾 1期生として合格
第46回衆議院議員総選挙で初当選(比例南関東ブロック)
2014年:第47回衆議院議員総選挙で落選
2015年10月:吉村洋文氏の辞職により繰り上げ当選
2017年:第48回衆議院議員総選挙で落選
2019年2月:日本維新の会 千葉5区支部長に就任
2021年10月:第49回衆議院議員総選挙で落選(3位)
となっています。
社会人としての出発と教員時代
1989年4月、東海大学を卒業した椎木保さんは、当時の大手証券会社・山一證券に入社します。
しかし、この選択は長くは続かず、わずか数ヶ月で退社することになりました。
同年9月、椎木さんは新たな道を選択し、茨城県の公立中学校教員として教壇に立ちます。
その後、公立小学校や高校、私立高校など、様々な教育現場で経験を積んでいきました。
特筆すべきは、私立鹿島学園高校と母校の鹿島灘高校で硬式野球部の指導にあたったことです。
自身の野球経験を活かし、監督やコーチとして生徒たちの指導に情熱を注ぎました。
行政職員としての経験
1994年、椎木さんは教育現場から行政の世界へと活動の場を移します。
社会人としての出発と教員時代で課長補佐として勤務を始め、その後は鹿嶋市役所の国保年金課副参事も務めました。
行政職員として、行革や年金業務など、市民生活に直結する重要な仕事に携わっていきます。
衆議院議員
2012年、椎木さんは大きな転機を迎えます。
橋下徹さんが率いる維新政治塾の1期生として合格し、政界への第一歩を踏み出したのです。
同年12月の第46回衆議院議員総選挙に、日本維新の会の公認候補として千葉13区から出馬します。
小選挙区では惜しくも3位でしたが、比例南関東ブロックで復活当選を果たし、国会議員となりました。
1期目の椎木さんは文部科学委員として活動し、教育現場での経験を政策に活かそうと努めます。
2014年の選挙では一度落選しますが、2015年に思わぬ展開が訪れます。
吉村洋文さんが大阪市長選に出馬するため議員を辞職したことで、繰り上げ当選を果たしたのです。
2期目は国土交通委員や東日本復興特別委員会理事、地方創生に関する特別委員を歴任しました。
2017年の選挙で落選した後も、椎木さんは政治活動を続けます。
2019年2月には日本維新の会の千葉5区支部長に就任し、地域での活動を展開しました。
2021年の衆院選では3位に終わり、これが椎木氏の最後の選挙となりました。
その後は建設会社の顧問を務めるなど、民間での活動を行っていたとされています。
まとめ
元衆議院議員の椎木保さんの学歴や経歴についてお伝えしました。
教員から行政職員、そして政治家へと転身した椎木保さんの経歴は、一つの道にとどまらない人生を物語っています。
教育現場での経験を持つ政治家として期待された一方で、最終的に政界での活動を終えることとなりました。
その波乱に満ちた半生は、現代社会における政治家の姿を考えさせる一つの事例となっているのです。
以上、椎木保さんの経歴についてお伝えしました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。