岡山県知事の伊原木隆太さん。
背景には地元百貨店・天満屋の創業家という、実業界の重鎮としての顔も持ち合わせています。
今回は、地域経済の発展に深く関わってきた伊原木家の系譜をたどりながら、知られざる家族の物語に迫ってみたいと思います。
商売と政治、二つの才能が息づく伊原木家の歴史をご紹介します。
伊原木隆太のプロフィール
名前:伊原木隆太(いばらぎ りゅうた)
生年月日:1966年7月29日
出身地:岡山県岡山市
最終学歴:東京大学工学部・スタンフォード大学経営大学院
前職:天満屋代表取締役社長
趣味:テニス・ゴルフ・スキー・アルトサックス演奏・料理・将棋
特技:お好み焼き・牛丼・ハンバーガー・あんぱん
伊原木隆太さんは岡山大学教育学部附属小中学校、県立岡山大安寺高校を経て、東京大学工学部に進学しています。
在学中には1年間の休学期間を設け、アメリカで語学研修を受けるなど、グローバルな視野を広げることにも注力しました。
大学卒業後は外資系コンサルティング会社に就職し、その後スタンフォード大学でMBAを取得。
広島県の湯崎英彦知事とは、スタンフォード大学時代の同窓生。
さらにフランスで料理を学ぶなど、多彩な経験を積んでいます。
1998年に天満屋の代表取締役社長に就任し、14年間経営手腕を発揮した後、2012年に岡山県知事に転身。
岡山県では戦後初の民間出身知事として注目を集める。
県政のトップリーダーとして、着実な実績を積み重ねています。
伊原木隆太の家系図
伊原木隆太さんの実家の家族構成は
父親:一衛
母親:洋子
伊原木隆太
長女:桃子
次女:華子
三女:春子
となっています。
それでは、詳しく見ていきましょう。
伊原木隆太の父親は一衛
伊原木隆太さんの父親は、井原木一衛さんです。
一衛さんは、1939年生まれの実業家です。
- 天満屋の元代表取締役社長(1960年-1998年)
- 天満屋ストアの元社長(1969年-1989年)および会長
- 天満屋の元会長(1998年-)
伊原木隆太さんは、海外でのキャリアも考えていたそうです。
実は、スタンフォード大学に留学中、ニューヨークの銀行への就職が内定していた時期がありました。
しかし、母・洋子さんからの「父の仕事を手伝ってほしい」という願いを受け、岡山への帰郷を決意したんです。
2021年には、後援会の政治資金に関する話題も出ました。
父・一衛さんから上限の100倍を超える献金を受け取っていたのではないかと、一時期注目を集めることになりました。
しかし、時効が成立していたため処罰はなかったようです。
ニューヨークで就職が決まっていたようですが長男ということで、いつかは天満屋を継ぐ覚悟はしていたんでしょうね。
伊原木隆太の母親は洋子
茨城隆太さんの母親は、井原木洋子さんです。
顔画像など詳しいことは明らかにされていません。
洋子さんの父親は、大分県中津市の元市長・八並操五郎さんです。
政治家の家系という背景を持つ洋子さん。
井原木隆太さんの政治家としての道のりにも影響を与えたかもしれませんね。
伊原木隆太の兄弟
井原木隆太さんには3人の妹さんがいます。
- 長女:桃子
- 次女:華子
- 三女:春子
名前以外、顔画像や職業など詳しいことは明らかになっていません。
おそらく、結婚されてお子さんがいるのではないでしょうか。
現在、天満屋の会長は隆太さんの叔父である井原木省五さんが就任しています。
お子さんの有無は分かりませんが、もしかしたら妹さんたちが次期会長とかもあり得るのかもしれませんね。
4人兄弟の長男として、家業と政治の両立を図る隆太さんを、妹たちも支えているようです。
伊原木隆太は天満屋の御曹司
伊原木隆太さんは、天満屋の御曹司になります。
- 高祖父:伊原木藻平 1829年に天満屋小間物店を創業
- 曽祖父:伊原木久三郎 1918年に天満屋株式会社を設立 1945年まで社長を務める
- 祖父:伊原木伍朗 1946〜1960年 天満屋社長
- 父:伊原木一衛 1960〜1998年 天満屋社長
隆太さんの高祖父に当たる藻平さんが天満屋小間物店を創業しました。
そして、曽祖父の伊原木久三郎さんは二伊合資会社社長、合同貯蓄銀行頭取を務めています。
その後、2代目伊原木藻平となり、天満屋株式会社を設立し27年間、社長を務めました。
2代目には子供がおらず、隆太さんの祖父の伊原木伍朗さんは養子です。
伊原木伍朗さんと隆太さんの父親である伊原木一衛さんも天満屋の社長に就任しています。
初代社長の伊原木久三郎さんから、約100年以上にわたって井原木家が経営を担ってきたということになります。
きっと、代々お金持ちで家も大豪邸で広いんでしょうね。
まとめ
岡山県知事の伊原木隆太さんの実家についてお伝えしました。
井原木さんは14年間の天満屋社長時代を経て、2012年に岡山県知事へ転身します。
この決断には、実家の伝統を守りながらも、より広い視野で地域貢献を目指す想いがあったのでしょう。
地域の発展と共に歩んできた伊原木家。
その歴史は、まさに岡山の経済発展の歴史そのものと言えるかもしれません。
これからも地域のために尽力する伊原木家の活躍から、目が離せませんね。