愛媛県知事を務める中村時広さん。
慶應義塾で学んだエリート政治家として知られています。
三菱商事のサラリーマンから政治家への転身、その経歴には意外な一面も隠されています。
今回は、中村さんの学生時代から政治家としての道のりを詳しく見ていきましょう。
中村時広のプロフィール
氏名:中村 時広(なかむら ときひろ)
生年月日:1960年1月25日
出身地:愛媛県松山市
現職:愛媛県知事(公選第17・18・19・20代)
最終学歴:慶應義塾大学法学部法律学部
前職:三菱商事社員・松山市長
趣味:読書、スキー、バドミントン
1960年1月25日、愛媛県松山市に政治家一家の長男として生まれました。
父・時雄さんは衆議院議員や松山市長を務めた地元の名士で、母・敏子さんと4人の妹に囲まれて育ちました。
幼少期から東京で暮らし、慶應義塾で一貫教育を受けます。
1991年には愛媛県石井村(現・松山市)出身の美由紀さんと結婚。
翌年には長男の時人さんが誕生しました。
趣味は読書、スキー、バドミントンで、自転車文化の普及にも熱心に取り組んでいます。
さらに意外な一面として、筋金入りのプロレスファンとしても知られています。
無所属の立場を貫きながら、愛媛県知事として県政のかじ取りを担っています。
中村時広の学歴
中村時広さんの学歴は
小学校:慶應義塾幼稚舎
中学校:卒業慶應義塾普通部
高校:慶應義塾高等学校
大学:慶應義塾大学法学部法律学科
となっています。
この学歴だけ見ると、生粋の慶應ボーイでおぼっちゃまというイメージしかありません。
しかし、優等生そのものだったわけではありません。
慶應義塾高校入学早々に登校拒否を経験。
数回の補導歴があり、停学処分を受けたこともあったそうです。
今からは想像もつかない「ヤンチャな一面」を持っていたんですね。
その後、慶應義塾大学法学部法律学科に進学します。
当時の法学部の偏差値は67.5と、全国でもトップクラスの難関でした。
同じ学部からは小沢一郎さんや橋本龍太郎元首相など、多くの政治家を輩出しています。
知事にもなるような人に補導歴があるとは驚きですよね。
中村時広の経歴
中村時広さんの経歴は
1982年:三菱商事株式会社入社(燃料部門配属)
1987年:愛媛県議会議員選挙で初当選(27歳)
1990年:県議を辞職し衆議院選挙に出馬するも落選
1993年:日本新党から出馬し衆議院議員初当選
1996年:新進党から出馬するも落選
1999年:松山市長選挙で当選(39歳)
2010年:愛媛県知事に初当選
2022年:4期目の当選を果たす
となっています。
知事の多くは、国家公務員出身が多いのですが、中村さんは商社勤務のようです。
それでは、詳しく見ていきましょう!
三菱商事
1982年、大学卒業後は三菱商事に入社します。
三菱商社といえば、日本の大手総合商社であり、三菱グループの中核企業の一つですよね。
中村さんは、燃料部門に配属され、商社マンとしてのキャリアをスタートさせました。
しかし、エリート商社マンとしての道は長くは続きませんでした。
三菱商事に入社してわずか5年で退職しています。
政治家への転身
1987年、27歳という若さで愛媛県議会議員選挙に挑戦します。
安定した企業人生を捨てての挑戦でした。
見事初当選を果たし、政治家としての第一歩を踏み出します。
そして1990年、県議1期目の途中で辞職。
第39回衆議院議員総選挙に無所属で立候補します。
しかし、この挑戦は実を結ばず、得票数5位で落選。
その後、日本新党に参加し、1993年の衆議院議員選挙で念願の初当選を果たします。
松山市長
1999年、39歳の若さで松山市長に就任。
これは歴代市長の中でも異例の若さでした。
市長時代には「坂の上の雲のまちづくり」を展開。
30億円を投じて坂の上の雲ミュージアムを開設するなど、文化事業にも力を入れました。
愛媛県知事
2010年、松山市長を退任し、愛媛県知事選に挑戦。
見事当選を果たし、現在は4期目を務めています。
知事就任後は県産品や県内企業の技術売り込みに注力。
2017年度には約113億円の成約実績を上げるなど、目覚ましい成果を残しています。
実は中村さん、筋金入りのプロレスファンとしても知られています。
2019年にはプロレスの試合に参加し、なんとアイアンマンヘビーメタル級王座を獲得。
わずか1分で陥落してしまいましたが、ユニークな一面を見せてくれました。
高校時代の補導歴やプロレスなど、知事とは思えない部分が見え隠れするのが県民を惹きつけるのかもしれませんね。
まとめ
愛媛県のトップリーダーとして手腕を発揮する中村時広知さん。
慶應義塾での学び、三菱商事での実務経験、そして地方政治での実績。
これら全ての経験が、現在の中村時広さんの県政運営に活かされています。
エリート街道を歩みながらも、若くして安定を捨てて政治の道を選択し、時には挫折を経験しながら道を切り開いてきました。
今後の活躍も楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。