宮崎県知事を務める河野俊嗣さんは、地方行政のエキスパートとして知られています。
自治省(現総務省)入省以来、全国各地で様々な行政経験を積み重ねてきました。
ハーバード大学への留学経験も持つ河野さんは、理論と実践の両面で深い知見を有しています。
今回は河野さんの学歴や経歴にについてまとめていきます!
河野俊嗣のプロフィール
氏名:河野俊嗣(こうの しゅんじ)
生年月日:1964年9月8日
出身地:広島県呉市
居住地:宮崎県
血液型:O型
職業:宮崎県知事
最終学歴:東京大学法学部
前職:国家公務員・宮崎県副知事
趣味:トライアスロン、オペラ鑑賞、家庭菜園
1964年に広島県呉市で生まれた河野俊嗣さんは、広島大学附属高校から東京大学法学部へと進学しました。
大学3年時のダンスパーティーで出会った妻と結婚し、現在は3人の子供を持つ父親です。
長男、次男、長女の5人家族で、全員がスポーツ好きという特徴があります。
河野さん自身はトライアスロンを趣味とし、息子たちはサッカー、長女は卓球に打ち込んでいました。
2023年には長男夫婦に女児が誕生し、初孫の誕生を喜んでいます。
現在は宮崎県知事として4期目を務めており、家族からの支援を力に県政に取り組んでいます。
オペラ鑑賞や家庭菜園も趣味とする文武両道の人物として、県民からの信頼も厚いようです。
河野俊嗣の学歴
河野俊嗣さんの学歴は
小学校:不明
中学校:不明
高校:広島大学附属高等学校
大学:東京大学法学部
大学院:ハーバード大学ロースクール 法学修士課程修了
となっています。
小学校と中学校は明らかになっていません。
おそらく、公立の学校に通っていたものと推測されます。
中学時代は卓球部に所属し、顧問から特別指導を受けるほどの実力を持っていました。
また、生徒会長も務めるなど、すでにリーダーシップを発揮する場面が多かったようです。
高校進学では、広島県内屈指の名門、広島大学附属高等学校に入学しています。
片道1時間半の通学時間を経て、サッカー部での活動に打ち込んだ高校時代でした。
その後、東京大学法学部に進学し、憲法学と国際法のゼミで学びを深めました。
大学時代には、運命的な出会いも待っていました。
3年生の時に参加したダンスパーティーで、現在の妻と出会ったのです。
奥さんも東大の出身なんですね!
河野俊嗣の経歴
河野俊嗣さんの経歴は
1988年:自治省(現総務省)入省
1988年:宮城県総務部地方課・財政課
1990年:人事院長期在外研修(ハーバード留学)
1993年:愛知県春日井市企画調整部長
1995年:国土庁土地局土地政策課課長補佐
1997年:埼玉県総合政策部市町村課長
1999年:埼玉県総合政策部まちづくり支援課長
2001年:総務省自治行政局自治政策課課長補佐
2005年:宮崎県総務部長
2007年:宮崎県副知事
2011年:宮崎県知事就任 現在に至る
となっています。
国家公務員時代は、全国を飛び回っていたようです。
それでは、詳しく見ていきましょう!
自治省に入省
1988年、東京大学を卒業後、河野さんは自治省(現在の総務省)に入省します。
これは「地方を元気にすることで日本全体を発展させたい」という志からでした。
入省後、最初の赴任先は宮城県庁でした。
そこで、仙台市の政令指定都市への移行に携わるという貴重な経験を積んでいます。
1990年には、人事院長期在外研修生としてハーバード大学ロースクールへ留学しています。
帰国後は、愛知県春日井市の企画調整部長として市政に関わりました。
この経験を通じて、国・県・市の連携の重要性を実感したと語っています。
その後、国土庁土地局での勤務を経て、埼玉県庁に異動となります。
埼玉県では、浦和・大宮・与野3市の合併という大きなプロジェクトを担当しました。
2001年からは総務省で、自治行政や財政、税務など、幅広い分野を経験します。
そして2005年、宮崎県総務部長として宮崎県庁に赴任しました。
赴任直後から台風14号への対応に追われるなど、実践的な経験を積んでいきます。
宮城県副知事
2007年には、東国原英夫知事の下で副知事に就任しました。
副知事時代の最大の試練は、2010年の口蹄疫との戦いでした。
口蹄疫とは…
動物の口、舌、ひづめに水疱ができ、食欲不振、跛行 (足をひきずる)が見られます。
致死率は数%ですが、採食障害や歩行障害によって著しく生産性が低下し、畜産経営に壊滅的な打撃を及ぼす伝染病です。
この危機に際しての対応が、後の知事としての経験に大きく活かされることになります。
宮城県知事
2010年、東国原知事の不出馬表明を受けて、河野さんは知事選への出馬を決意します。
「宮崎の再生には自分しかいない」という強い使命感からの決断でした。
見事初当選を果たし、2011年1月に宮崎県知事に就任しました。
就任直後から、鳥インフルエンザの発生や新燃岳の噴火など、次々と危機が訪れます。
しかし、これらの困難を着実に乗り越え、県民からの信頼を獲得していきました。
2期目以降は、大型企業の誘致や国際交流の推進など、積極的な施策を展開しています。
現在は全国知事会で重要な役職を務めるなど、その手腕は全国的にも認められています。
河野さんの活力の源は、トライアスロンという趣味にあるのかもしれません。
大会出場を重ねるなど、知事としての激務の中でも体力の維持に努めています。
また、オペラ鑑賞や家庭菜園など、文化的な趣味も大切にしているそうです。
河野俊嗣さんは豊かな行政経験と強靭な体力、そして文化的な教養を兼ね備えた知事なんですね!
まとめ
宮崎県知事・河野俊嗣さんの学歴や経歴についてお伝えしました。
河野俊嗣さんは、豊かな行政経験と学識を持つ宮崎県知事として、確かな実績を残しています。
自治省での経験から地方自治の本質を学び、ハーバード大学への留学で国際的な視野も広げてきました。
宮崎県では副知事として口蹄疫対策に取り組み、知事就任後も様々な危機に対応してきました。
全国知事会での要職も務める河野氏は、地方自治のリーダーとしての存在感を示しています。
これからも豊富な経験と知見を活かし、宮崎県の発展に尽力していくことでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。