【顔画像】馳浩の嫁は高見恭子!子供は娘1人で元妻は師匠の娘!?

石川県知事として活躍する馳浩(はせ ひろし)さん。

2024年1月、能登半島地震の対応に奔走する姿が多くのメディアで取り上げられました。

元プロレスラーから政治家へと転身し、文部科学大臣まで務めた異色の経歴の持ち主です。

今回は、そんな馳浩さんの家族について調査していきます。

目次

馳浩のプロフィール

引用元:https://hase-hiroshi.org/
馳浩のプロフィール

名前:馳 浩 (はせ ひろし)

生年月日:1961年5月5日

出身地:富山県小矢部市

身長/183cm

血液型/A型

馳浩さんは1961年5月5日、富山県の農家に三男として生まれました。

生家は決して裕福ではなく、父親は農業の傍ら瓦工場で働きながら家計を支えていました。

馳さんの人生を大きく変えたのは、小学3年生の時でした。

石川県金沢市のリンゴ農家から養子として迎えられることになったのです。

養子に行く朝、バットを振り回して喜んでいたという逸話が残っています。

幼い子供らしからぬ決断力と前向きな性格が伺える出来事でした。

養子となった後も、馳さんは実家の家族との絆を大切にしています。

ブログには、兄の運転で実の母親を施設に迎えに行き、亡き父の墓参りをする様子が綴られています。

また、養父母に対する感謝の気持ちも持っており、養父・馳正雄さんの墓参りは欠かさず行い、施設で暮らす養母も定期的に訪問しています。

馳浩の妻は高見恭子

出典元:X

馳さんの現在の妻は、タレントとして活躍した高見恭子さんです。

高見恭子さんのプロフィールはこちらになります▼

本名:馳 恭子 (はせ きょうこ)

生年月日:

1959年1月5日

血液型:AB型

出身地:東京都

身長:170cm

高見恭子さんは1990年5月に一般男性(美容整形外科医)と結婚し、同年11月に離婚しています。

びっくりするほどのスピード離婚ですよね。

馴れ初め

2人の出会いは、衆議院議員・松浪健四郎さんの紹介でした。

運命的なことに、紹介された翌日に高見さんの母親が亡くなります。

その葬儀を馳さんが仕切ることになり、二人の距離は一気に縮まりました。

馳さんは和歌を書いたラブレターを送るなど、ロマンチックなアプローチを展開。

約1年の交際を経て、1995年3月に結婚しました。

「いい夫婦」に選ばれた2人

https://beauty.oricon.co.jp/news/2062083/photo/9/

馳さんと高見さんは、2015年に「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。

授賞式で馳さんは「結婚してから一緒の布団でずっと寝ていることは大事」と語り、会場を和ませました。

ただ近年、二人の関係を心配する声も上がっています。

2022年の石川県知事選では、高見さんが選挙活動に参加しなかったことが話題となりました。

しかし、当選後に馳さんは「妻からお祝いの言葉をもらった」と語っており、実態は定かではありません。

馳浩の娘

出典元:X

2の間には1997年生まれの一人娘、鈴音(りおん)さんがいます。

今夜は、1日早く、娘のお誕生日会、

24歳か、おめでとう㊗️ございます。

引用元:はせ日記

これは、馳浩さんのブログ『はせ日記』なのですが、投稿日は2021年12月10日でした。

ということは、鈴音さんは12月11日生まれのということになりますね。

父娘仲が良く馳浩さんの開設しているYouTubeチャンネルにも登場しています!

母親譲りの美貌を持ち、170センチを超える長身が印象的です。

現在は都内の一般企業に勤めながら、父の政治活動も熱心にサポートしています。

2022年の知事選では、有給休暇を取得して応援に駆けつけるなど、父娘の絆の深さを感じさせました。

高見さんのブログには、娘との日常的なエピソードが多く綴られています。

https://ameblo.jp/kyoko-we/entry-12821184634.html

母娘で洋服を交換したり、イベントに一緒に参加したりと、仲睦まじい様子が伝わってきます。

高見さんは自身が幼少期にあまり褒められなかった経験から、娘には徹底的な「褒める育児」を実践。

「かわいい!」と言いすぎて、幼い鈴音さんから「お世辞はいいよ」と言われたこともあったそうです。

一方、馳さんは「頭ごなしに怒らない」ことを心がけ、娘の学校行事にもなるべく参加するよう努めていました。

両親ともに忙しかったはずなのに、子育てに積極的に参加していたようですね。

馳浩の元妻

馳浩知事には、高見恭子さんとの結婚以前に短い結婚生活がありました。

最初の妻は、ロシア格闘技サンボ界の重鎮ビクトル古賀の長女・仁美さんでした。

仁美さんは並外れた才能の持ち主だったようです。

高校時代にアフガニスタンに留学し、英語とペルシャ語を操るトリリンガルでした。

2人の出会いは、1989年6月にまで遡ります。

当時、馳さんはロシア(旧ソ連)でサンボの修行に励んでいました。

https://martial.website/sambo/

師匠を務めていたのが仁美さんの父・ビクトル古賀さん。

仁美さんは父の稽古に付き添っており、そこで馳さんと出会うことになります。

真摯な稽古姿勢と人柄に惹かれ、二人は急速に親密になっていきました。

そして翌年1990年3月31日、京王プラザホテルで華やかな結婚式を挙げます。

黒岩彰さんや柔道家の斉藤仁さんなど、200人以上のゲストが祝福に駆けつけました。

しかし、この結婚生活は5年と持ちませんでした。

離婚の時期は明確になっていませんが、1995年の高見恭子さんとの再婚までには終わっていたようです。

まとめ

石川県知事である馳浩さんの家族についてお伝えしました。

筆者の願いとなりますが、夫婦力を合わせて震災復興にご尽力していただきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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