小泉進次郎の学歴まとめ!高校は関東学院六浦で超モテモテ球児だった!?

「政界のプリンス」として知られる小泉進次郎さん。

元首相・小泉純一郎さんの次男として生まれました。

伝統ある政治家一家に生まれながら、意外にも地元の学校で学び、野球に打ち込んだ青春時代。

そして名門アメリカの大学院まで進学した小泉進次郎さんの学歴についてまとめていきます!

目次

小泉進次郎の学歴

小泉進次郎さんの学歴は

小学校:関東学院六浦小学校
中学校:関東学院六浦中学校
高校:関東学院六浦高等学校
大学:関東学院大学 経済学部経営学科
大学院 :コロンビア大学大学院 政治学部

となっています。

これ以外にも、語学留学でオ大学時代にはオーストラリアでのホームステイを3回経験、高校時代から大学時代には英会話学校にも通っています。

それでは、詳しく見ていきましょう!

小泉進次郎の出身小学校は関東学院六浦小学校

https://shingaku-soudan.com/school/関東学院六浦小学校/

小泉進次郎さんは、1988年4月に関東学院六浦小学校に入学しました。

横浜市金沢区にある私立の共学校です。

関東学院大学の系列ではありますが、横浜市南区にある関東学院小学校とは別の学校になります。

小学生時代は多くの習い事に励んでいました。

水泳、そろばん、ピアノ、ソフトボールなど、兄の孝太郎さんの影響を受けて始めた習い事が多かったそうです。

また、正栄館磯部道場で剣道も習っていましたが、道場での合宿中に嫌になって途中で帰ってきたエピソードも。

面をかぶる練習が痛くて我慢できなかったといいます。

小学2年生からはソフトボールを始め、これが後の野球少年としてのとなりました。

兄と一緒にバッテリーを組んで試合に出場することもありましたが、3歳年上の兄の全力の球を受けきれず、試合中に兄弟喧嘩になったこともあったそうです。

また、幼い頃から芸術的な才能も見せていました。

友達の似顔絵を描いて表彰され、横浜市内で展示されたこともありました。

意外な一面として、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったロールプレイングゲームに夢中になっていたそうです。

ピアノは小学校6年生まで習っていたので、レベルの高い曲も弾けるのではないでしょうか。

出典元:X

2023年の「横須賀市の二十歳のつどい」にフリースタイルピアニストのけいちゃんがサプライズゲストとして登場しました。

その際、「一緒に連弾でも!」と誘われたそうなのですが、丁重にお断りをしたとか…

なお、1歳の時に両親が離婚をしているため、この時期は伯母の道子さんを実の母親と思って「ママ」と呼んで育っていました。

小泉進次郎さんの小学生時代からは、兄の影響を強く受けながらも、自分の興味に素直に向き合う素顔が垣間見えますね。

小泉進次郎の出身中学は関東学院六浦中学校

https://www.syutoken-mosi.co.jp/school/entry/detail003281.php

1994年、関東学院六浦中学校に内部進学した小泉進次郎さん。

この時期から本格的に野球の世界に没頭していきます。

中学時代の大きな転機となったのは、2年生の夏休みでした。

父親の小泉純一郎さんが「修行」という名目で新聞配達のアルバイトを勧めます。

深夜0時半に起床、午前1時過ぎに新聞配達所へ出勤、朝の6時から7時頃まで配達を行う生活。

その後、野球部の活動に参加するというハードスケジュールでした。

休刊日の1日以外は休みなく、一度も遅刻することなく勤め上げた姿勢は、配達所の社長からも高く評価されました。

また、中学2年生の時には人生を大きく左右する出来事がありました。

父親から、それまで母親だと思っていた道子さんが実は伯母(父の姉)であることを告げられたのです。

https://tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/daichi41_31.html

孝太郎さんは既に気づいていましたが、進次郎さんは道子さんを実の母親だと信じ切っていました。

「ママは母親じゃないんだよ」と告白すると、純一郎さんは涙をこらえきれず慟哭して言葉に詰まったそうです。

しかし、進次郎さんは「本当の母親だよ」と返答し、道子さんが母親としてしっかりと子育てをしてくれたことに感謝したというエピソードがあります。

三者面談でのエピソードも印象的です。

先生から「リーダーシップを取ってほしい」と言われた際、父の純一郎さんは

政治家の息子だから目立つのが嫌なのだろう。今のままでいい。

と理解を示しました。

この言葉に進次郎さんは深く感動し、

離れていても自分のことを考えてくれている

と父親の愛情を実感。

後に「人生の分かれ道だったかもしれない」と振り返っています。

中学時代の進次郎さんからは、厳しい環境にも耐える強さと、家族との深い絆が垣間見えます。

また、政治家の子どもとして目立つことを避けながらも、着実に成長していく姿が印象的です。

この時期の経験は、後の政治家としての基礎を築く重要な時期だったと言えるのではないでしょうか。

小泉進次郎の出身高校は関東学院六浦高校

https://ameblo.jp/koizumi-shinjiro/entry-11894297898.html

1997年、関東学院六浦高校に進学した小泉進次郎さん。

実は、父親の母校である横須賀高校を受験しましたが、不合格となっての進学でした。

高校時代は完全に野球漬けの毎日を送ります。

平日は朝練から放課後の練習、帰宅後も自主練として素振りを行い、週末は練習試合という生活でした。

ポジションはセカンド

3年生の時には副キャプテンを務め、主に1番打者として活躍しました。

選球眼が良く、チームのために塁に出ることを心がけていたそうです。

印象深い試合として、2年生の時に当時の高校球界のスター、松坂大輔選手のいた横浜高校との練習試合があります。

松坂選手の剛速球を目の当たりにし

別の生き物だ

と感じたと後に語っています。

3年生の春の県大会では、チームを強豪校・桐光学園に勝利に導き、ベスト8という快挙を達成

この成績は同校の野球部OBによると「10年に一度あるかないか」の好成績でした。

成績面では「下から数えた方が早かった」と言われますが、明るい性格で同級生からの評判は良好。

ただし、父親が政治家ということで先生たちは気を使っていたようです。

また、高校時代は恋愛でも話題を振りまきました。

校内でも有名なラブラブカップルで、野球部のマネージャーだった彼女とのキスプリクラが流出する一幕も。

そりゃ、あんなイケメンを女子は放っておかないですよね。

モテモテだったに違いありません!

3年生の夏の県大会では惜しくもベスト16で敗退。

最後の打席は満塁での凡退に終わり、

当てにいってしまい、チームに迷惑をかけた

と後悔の念を語っています。

この時期の野球経験について進次郎さんは、「セカンドは常にアンテナを張り、状況判断が必要なポジション。この経験は今の政治活動にも活きている」と振り返っています。

チームプレイを重視し、状況判断を大切にする小泉進次郎さんの政治家としての素質が見えますね。

小泉進次郎の出身大学は関東学院大学

https://www.minkou.jp/university/school/20322/

2000年、関東学院大学経済学部経営学科に内部進学した小泉進次郎さん。

偏差値は40前後と決して高くはありませんでした。

大学時代、大きな転機となったのは2年生の時です。

父親の小泉純一郎さんが自民党総裁選に出馬し、劇的な勝利を収めて内閣総理大臣に就任しました。

https://www.jiji.com/jc/d4?p=abs227-jpp04076262&d=d4_aaa

この選挙活動を手伝った経験が、進次郎さんの政治家としての道を決定づけることになります。

「政治は国民が変えていくものだ」という実感を得たと語っています。

同じ頃、兄の孝太郎さんが俳優デビューを果たします。

進次郎さんは「俳優になりたかったことも知らなかった」と語り、兄の決断に驚いたそうです。

学生生活では、当初野球部への入部を考えましたが、レベルの高さから断念

代わりにサーフィンに熱中し、雪の降る寒い日でもお湯を持参して海に通ったといいます。

https://www.fnn.jp/articles/-/580660?display=full

英語への関心も強く、この時期に3度のオーストラリアでのホームステイを経験。

さらに英会話学校にも通い、将来の留学に向けて着々と準備を進めていました。

父親の純一郎さんから

将来どうしたいのか?

と問われると

できることなら跡を継ぎたい。

と答え、

そうか。じゃあ勉強しないとな。

という一言を返されています。

授業に関しては「いかに効率よく単位が取れるかを考えていた」と語るなど、ごく普通の大学生だったようです。

しかし、父親が総理大臣になったことで周囲の目は一変。

「自分たちは変わっていないのに、周りの目が変わった」と、その戸惑いを後に語っています。

この時期の経験は、政治家としての覚悟を固めるとともに、グローバルな視野を広げる重要な時期とったようですね。

小泉進次郎はコロンビア大学大学院修了

小泉進次郎さんは2005年、アメリカの名門、コロンビア大学大学院への進学を果たします。

同大学は世界大学ランキングで常にトップ20に入る超難関校でした。

ただし、入学までの道のりは平坦ではありませんでした。

入学には通常、TOEFLで600点以上のスコアが必要です。

しかし、進次郎さんの英語力は当初、それに及びませんでした。

そこで特別措置として、コロンビア大学付属の英語学校で学び直すことになります。

必死の勉強の末、無事に大学院への入学を果たしました。

大学院での生活は想像を絶するハードなものでした。

平均睡眠時間はわずか3時間。

限界に挑んでいるような日々だった。
朝起きたら朝食の前にまず勉強。
自炊中も勉強できるように、作っていたのはカレーライスやチキンスープばかり。
本を読むのではなく、本を食べるぐらいの勢いで勉強していました

と当時を振り返っています。

授業でも必死でした。

「日本の授業とは違って、座って聞いているだけで発言しないというのは評価されない。正しいかどうかよりも、手を挙げて自分の意見を伝えるところに価値がある」と、アメリカの教育スタイルに苦心したことを明かしています。

政界の重鎮ジェラルド・カーティス教授の下で政治学を学び、見事に修士号を取得

その後、戦略国際問題研究所の非常勤研究員として実務経験も積みました。

なお、関東学院大学からコロンビア大学院への進学については「学歴ロンダリング」との批判も一部であります。

しかし、猛勉強で乗り越えた実績は、そうした批判を超えるものだったと言えるでしょう。

まとめ

小泉進次郎さんの学歴につしてお伝えしました。

一見すると政治家の子息としては意外なものかもしれません。

しかし、地元・横須賀に根差した教育を受け、野球に打ち込んだ青春時代を経て、コロンビア大学院で学んだ経験は、彼の政治家としての基盤となっています。

政治家一家に生まれながらも、自分の道を真摯に模索してきた姿からは、次世代を担う政治家としての可能性が感じられます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、みーです!
 
埼玉在住の歯科衛生士です。

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