大石賢吾のwiki学歴経歴|高校は長崎北で告発されたその後は?

長崎県知事を務める大石賢吾さんをご存知でしょうか。

医師から政治家への転身という異色の経歴の持ち主です。

離島育ちで、アメリカ留学を経て医師となり、厚生労働省での勤務を経て知事に就任。

今回は、大石賢吾さんの学歴や経歴についてまとめていきます。

目次

大石賢吾のプロフィール

出典元:X
大石賢吾のプロフィール

名前:大石賢吾(おおいし けんご)

生年月日:1982年7月8日

出身地:長崎県南松浦郡富江町(現・五島市)

最終学歴:千葉大学医学部医学科・千葉大学大学院博士課程修了

前職:AMED(日本医療研究開発機構)職員

大石賢吾さんは1982年7月8日、長崎県南松浦郡富江町(現在の五島市)で生まれました。

身長175cm、体重65kgのスポーツマンタイプで、B型の血液型を持ちます。

現在は妻の京子さんと3人の子どもたちと暮らしています。

京子さんは同じ長崎県の離島・対馬の出身で、料理上手な美人妻として知られています。

32歳でのプロポーズは「結婚しよう」というストレートな一言だったそうです。

子どもたちは長男、長女、次男の3人で年子、近所の公園で遊ぶことが大石さんの何よりの楽しみとなっています。

家族との時間を大切にする一方で、47都道府県知事の中で最年少という重責も担っている大石さん。

仕事と家庭の両立に日々奮闘する姿は、多くの共感を呼んでいます。

大石賢吾の学歴

大石賢吾さんの学歴は

小学校:富江町立富江小学校
中学校:富江町立富江中学校
高校:長崎県立長崎北高等学校
大学:カリフォルニア大学デービス校 生化学・分子生物学専攻
   千葉大学医学部医学科
   千葉大学大学院医学研究院 博士課程修了

となっています。

大石賢吾さんは長崎県南松浦郡富江町(現在の五島市)で生まれました。

五島列島という離島で幼少期を過ごした大石さんは、中学卒業と同時に本土へ渡ります。

それでは、詳しく見ていましょう!

長崎県立長崎北高等学校

https://www.homemate-research-high-school.com/dtl/

大石賢吾さんの出身高校は、長崎北高校です。

実家のある離島を離れ、一人暮らしをしながら通いました。

同校は長崎県内でもトップクラスの進学校で、「長崎五校」と呼ばれる名門校の一つです。

偏差値62を誇る同校で、大石氏は学業で優秀な成績を収めながら、ラグビー部でも大活躍しました。

https://rugby-nagasaki-kita.com/

特にラグビーでの功績は目覚ましく、「北高ラグビー」の黄金期を築いた立役者として知られています。

全国高校ラグビー選手権大会(通称:花園)に初出場を果たし、見事3位入賞という快挙を達成しました。

この成績は長崎北高校を強豪校へと押し上げる大きな転機となりました。

学業面でも、医学部進学を期待されるほどの成績を残しています。

今言うと、「本当か」と言われかもしれませんが(笑)、高校3年生の時は、全国模試でも志望医学部の合格判定もよく、「今年は、大石は医学部に行ってくれるんじゃないか」という周囲の雰囲気を感じていました。

引用元:m3.comニュース

医学部を期待されていた大石さんですが、意外な進路を選択します。

日本の医学部ではなく、カリフォルニア大学への留学を決意したのです。

この決断には、「世界最高水準の教育を見てみたい」という強い思いがありました。

また、中学卒業後に一人で本土に渡って高校生活を送った経験が、海外留学への自信につながったとも語っています。

このように、高校時代の大石氏は学業とスポーツの両立を見事にこなし、さらに将来を見据えた大胆な進路選択をする行動力も持ち合わせていました。

この姿勢は、現在の政治家としての活動にも通じているのかもしれませんね。

カリフォルニア大学デービス校 生化学・分子生物学専攻

https://japan.studyabroadfoundation.org/programs/

高校卒業後、大石さんがカリフォルニア大学デービス校への留学を決めたのです。

「世界最高水準の教育を見てみたい」という思いが、その決断の理由でした。

英語が苦手だった大石さんですが、「行けば何とかなる」という離島育ちならではの精神で渡米します。

デービス校では生化学・分子生物学を専攻し、研究に没頭する傍ら病院でボランティア活動も行いました。

手術室の準備や清掃、時には手術見学も経験し、アメリカの最先端医療に触れました。

その努力は実を結び、最優秀の成績で卒業という素晴らしい結果を残します。

世界トップレベルの研究機関で学んだ経験は、現在の長崎県政運営にも活かされているのかもしれませんね。

千葉大学医学部・千葉大学大学院医学研究院

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/1109743

帰国後、大石さんは長崎大学熱帯医学研究所で勤務した後、医師になる決意を固めます。

千葉大学医学部医学科に学士編入しました。

千葉大学医学部医学科は偏差値70を誇る難関校です。

3年生の前期から編入した大石氏は、2012年に無事卒業を迎えます。

千葉大学大学院でも目覚ましい活躍を見せ、複数の学会で賞を受賞しています。

日本精神神経学会の国際学会発表賞や優秀賞など、その実績は輝かしいものでした。

2018年には千葉大学大学院医学研究院博士課程を修了し、医学博士号を取得しています。

学歴が凄すぎて、言葉が出ません。

大石賢吾の経歴

出典元:X

大石賢吾さんの経歴は

2006年:長崎大学熱帯医学研究所勤務
2012年:千葉大学医学部附属病院勤務(精神科医)
2020年:厚生労働省医政局 地域医療計画課 救急・周産期医療等対策室長補佐
     (新型コロナウイルス対策推進本部・医療班兼務)
2021年:日本医療研究開発機構 革新基盤創成事業部 事業推進課長
2022年:長崎県知事就任(第20代)

となっています。

詳しく見ていきましょう。

千葉大学医学部附属病院

https://www.residentnavi.com/hospitals/272

2012年に千葉大学医学部を卒業後、大石賢吾氏は千葉大学医学部附属病院で臨床研修を開始しました。

精神科医として、主に発達障害や認知症の患者の診療にあたっています。

また、千葉大学精神神経科の非常勤講師も務め、臨床と教育の両面で活躍しました。

訪問診療にも積極的に取り組み、地域医療の現場で多くの経験を積んでいます。

この経験から、医療だけでは解決できない社会課題があることを痛感しました。

厚生労働省医政局に入局

2020年、大石賢吾さんは厚生労働省医政局に入局し、地域医療計画課の救急・周産期医療等対策室で室長補佐を務めました。

この時期は新型コロナウイルスの感染拡大期と重なり、対策推進本部の医療班も兼務することになります。

医系技官として、地域医療の政策立案や新型コロナ対策の最前線で活躍しました。

医系技官とは…
医師・歯科医師免許を持つ国家公務員で、保健医療の分野で政策の立案や実施に携わる技術系行政官

医師としての臨床経験と、カリフォルニア大学での研究経験を活かし、実務にあたっています。

特に地域医療の課題解決に注力し、救急医療体制の整備や周産期医療の充実に取り組みました。

日本医療研究開発機構

2021年には国立研究開発法人「日本医療研究開発機構」に転職

この機関は内閣府が所管する組織で、医療分野の研究開発予算の配分や、成果の実用化促進を行っています。

革新基盤創成事業部の事業推進課長として、医療研究開発の推進役を担いました。

この期間も千葉大学精神神経科の非常勤講師を兼務し、臨床現場との関わりを持ち続けています。

厚生労働省での経験は、医療政策や行政実務の知識を深める重要な機会となりました。

この経験は後の長崎県知事としての医療政策立案にも大きく活かされることになります。

また、コロナ禍での対応経験は、知事就任後の感染症対策にも役立つことになりました。

長崎県知事

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/879796/

2022年2月、大石賢吾さんは39歳という若さで第20代長崎県知事に就任しました。

現職の中村法道知事との激戦を、わずか541票差で制しての当選でした。

知事就任後は、前知事の路線を継承しながらも、独自の政策を打ち出しています。

特に子育て支援策に注力し、出生率の改善に取り組んでいます。

また、離島や山間部の多い長崎県の医療課題にも、医師としての経験を活かして取り組んでいます。

しかし、就任後には政治資金や選挙運動に関する問題も浮上しました。

2022年の知事選をめぐり、選挙コンサルタント会社への支払いや政治資金の流れについて、複数の告発を受けています。

2024年1月には、長崎地検が嫌疑不十分で不起訴処分としましたが、県議会での説明を求められる場面もありました。

また、2023年7月には全国知事会議を欠席してサッカー観戦をしていたことが明らかになり、話題となりました。

この際、サッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドに県のPRを依頼するため面会していたとされています。

「県民が誇りに思える長崎県」を目指し、日々奮闘を続けている大石賢吾さん。

その行動力と実行力に、これからも注目が集まりそうですね。

まとめ

長崎県知事の大石賢吾さんの学歴や経歴についてお伝えしました。

離島から世界へ飛び出し、カリフォルニア大学での留学、精神科医としての活躍、厚生労働省での実務経験を経て、故郷・長崎の発展に尽力しています。

全国最年少の知事として、医療や子育て支援などの課題に取り組む姿勢は、多くの注目を集めています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、みーです!
 
埼玉在住の歯科衛生士です。

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