玉城デニーの学歴|高校時代はロン毛のイケメンすぎていじめられてた!?

沖縄県知事として注目を集める玉城デニーさん。

その半生は、波乱に満ちた学生時代から始まりました。

アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフとして生まれ、母子家庭で育った玉城さんは、差別や貧困と向き合いながら成長していきます。

しかし、音楽への情熱と福祉への志は、彼の人生を大きく変えていきました。

今回は、タレントから政治家へと転身を遂げた玉城デニーさんの学生時代についてまとめていきます。

目次

玉城デニーのプロフィール

https://www.yomiuri.co.jp/national/20231220-OYT1T50163/
玉城デニーのプロフィール

名前:玉城 デニー (たまき でにー)

本名:玉城 康裕 (たまき やすひろ)

生年月日:1959年10月13日

出身地:沖縄県与那城村(現うるま市)

身長:164cm

血液型:O型

最終学歴:上智社会福祉専門学校

前職:タレント

玉城デニーさんは、沖縄駐留の米軍人の父と伊江島出身の日本人の母を持つアメラジアンとして生まれました。

幼い頃は「デニス」という名前でしたが、後に「康裕」に改名します。

10歳までは母親の知人宅で育ち、その後実母と暮らすようになりました。

高校時代には音楽に魅了され、ロックバンド「ウィザード」でボーカルを務めました。

上智社会福祉専門学校で児童指導員と児童福祉士の資格を取得後、30歳でタレント活動を開始。

42歳で政治家に転身し、4期の衆議院議員を経て、59歳で沖縄県知事に就任しました。

母子家庭での経験や音楽への情熱、福祉への志など、多彩な経験が現在の活動の原動力となっています。

玉城デニーの学歴

玉城デニーさんの学歴は

小学校:与那城小学校
中学校:勝連町立与勝第二中学校
高校:沖縄県立前原高校
専門学校:上智社会福祉専門学校

となっています。

玉城デニーさんの学生時代は、決して平坦な道のりではなかったようです。

まずは小学校時代から見ていきましょう。

玉城デニーは与那城小学校出身

https://www.homemate-research-elementary-school.com/dtl/

玉城は沖縄県与那城村(現うるま市)にある与那城小学校に通いました。

アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフとして生まれた玉城さんは、幼い頃から周囲との違いを感じていました。

「嫌なーアメリカー(嫌なアメリカ人)」と呼ばれ、差別や暴力を受けることもありました。

そんな環境の中、玉城さんは10歳までを母親の知人宅で過ごすことになります。

母親は生活費を稼ぐため、飲食店で住み込みで働いていたのです。

育ての親を「おっかあ」、実母を「アンマー」と呼んで育った玉城さんは、後に「この2人の母がいて、今の僕がある」と語っています。

10歳で実母と暮らすようになった玉城は、この頃「康裕」という名前に改名しました。

玉城さんは小学生時代、辛い経験をしていたんですね。

玉城デニーは勝連町立与勝第二中学校出身

https://www.homemate-research-junior-high-school.com/dtl/

続いて中学時代を見てみましょう。

勝連町立与勝第二中学校(現うるま市立与勝第二中学校)に進学した玉城さんは、音楽に魅了されていきます。

特にイギリスのハードロックグループ「ディープ・パープル」との出会いは、強い衝撃を受けました。

ロックバンドに大きな憧れを持ち、玉城さんの人生を大きく変えるきっかけとなりました。

玉城デニーは沖縄県立前原高校出身

https://www.homemate-research-high-school.com/dtl/

高校進学後、玉城は沖縄県立前原高校に入学します。

この高校は1945年開校の県立高校で、スポーツが盛んな学校でした。

特に空手部やサッカー部は県内でも強豪として知られていました。

しかし玉城は部活動には参加せず、代わりに4人組のロックバンド「WIZARD(ウィザード)」を結成します。

バンドではボーカルを担当し、地元のライブハウスで人気を集めていました

https://www.pen-online.jp/article/011330.html

毎日熱心に練習に励む玉城さんの姿は、周囲の目にも印象的だったようです。

郊外に住んでいた玉城さんのために、他のメンバーがバス代をカンパしてくれることもありました。

当時の玉城さんは、鞄すら持たずにエレキギターをむき出しのまま登校する個性的な生徒だったんだとか…

また、応援団の1人として活躍もしていたそうです。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1468956.html

ロン毛で目立つ存在だった玉城さんは、「もうそれはハーフとして生まれた者の宿命みたいなもの」と振り返っています。

高校時代はバンド活動に熱を入れていたんですね。

玉城デニーは上智社会福祉専門学校出身

https://ja.wikipedia.org/wiki/上智社会福祉専門学校

高校卒業後、玉城さんは東京の上智社会福祉専門学校に進学します。(2022年3月に閉校しました)

「自分も誰かを幸せにしたい」という思いから、福祉を学ぶ道を選んだのです。

高校時代の友人が東京の福祉系の大学に行くと聞いたことも、進路選択の一因となりました。

専門学校では昼間は酒屋で働き、夜は学校で学び、その後は歌舞伎町のゲームセンターでアルバイトをしていました。

しかし途中で授業日数が足りなくなり、特別講義を受けることになります。

この時間的余裕を活かして、玉城は再びバンド活動を始めることを決意します。

当初は専門学校卒業後に沖縄に帰るつもりでいた玉城さんは、

「東京にはなじまないというか、東京で働こうとは思えなかった」

と語っています。

専門学校では児童指導員児童福祉司の国家資格を取得しました。

児童指導員とは…児童発達支援施設や放課後等デイサービスなどの児童福祉施設で働く職員のこと
児童福祉司とは…児童相談所に所属し、子どもや保護者の相談に乗り、問題の解決をサポートする仕事

卒業後はすぐに沖縄へ戻り、福祉関係の臨時職員として働き始めたのです。

その後30歳でローカルタレントとして活動を開始し、ラジオのパーソナリティとして人気を博します。

42歳で衆議院議員に転身した玉城さんは、59歳で沖縄県知事に当選、現在に至ります。

児童に関わる福祉の仕事についていたとは、ちょっと意外でした!

まとめ

沖縄県知事・玉城デニーさんの学歴についてお伝えしました。

母子家庭での生活、ハーフであることによる差別など、多くの壁に直面しました。

高校でのバンド活動、専門学校での福祉の学び、そしてタレントから政治家への転身と、常に新しい挑戦を恐れない姿勢は、現在の沖縄県知事としての活動にも活かされています。

玉城の人生は、どんな環境でも夢を持ち続けることの大切さを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、みーです!
 
埼玉在住の歯科衛生士です。

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