2024年、石破内閣で外務大臣に就任した岩屋毅さん。
鹿児島の名門ラ・サール高校から早稲田大学を経て政界入りを果たした秀才政治家です。
10期目を迎える今、日本外交の最前線に立つ重責を担っています。
高校時代の親友・孫正義氏との出会いから政治家への道のり、そして人生の大きな転機となった7年間の浪人時代まで。
今回は、岩屋毅さんの学歴や経歴について調査していきます。
岩屋毅のプロフィール
名前:岩屋 毅(いわや たけし)
生年月日:1957年8月24日
出身地:大分県別府市
身長:178cm
最終学歴:早稲田大学政治経済学部政治学科
前職:鳩山邦夫衆議院議員秘書
岩屋毅さんの父・啓さんは医師であり、大分県議会議員も務めた政治家でした。
母・登美恵さんは若い頃に結核を患い、その治療中に医師だった父と運命的な出会いを果たします。
妻の知子さんは薬剤師として活躍。
岩屋さんが7年間の政界浪人時代を経験した際も、3人の子育てをしながら家計を支えました。
子供は3人で長女、次女、そして待望の長男・大志郎さん。
長男は現在獣医師として活躍しています。
2人の娘さんは大学時代、赤坂の議員宿舎で父と暮らしていたそうです。
幼少期から家族で犬を飼っており、秋田犬やスピッツ、チン、ボクサー、ドーベルマンと多くの犬に囲まれて育ちました。
岩屋毅の学歴
岩屋毅さんの学歴は
小学校:別府市立青山小学校
中学校:別府市立青山中学校
高校:ラ・サール高等学校
大学:早稲田大学政治経済学部政治学科
となっています。
一つずつ、深掘りをしていきましょう!
別府市立青山小学校
岩屋毅さんは別府市立青山小学校の出身です。
別府市立青山小学校は、2016年3月まで大分県別府市青山町に存在した公立小学校となります。
2016年3月に西小学校と統合し、別府市立山の手小学校が開校したことに伴い青山小学校は閉校しました。
別府市立青山中学校
岩屋毅さんは別府市立青山中学校を卒業しています。
大分県別府市野口原にある公立中学校です。
歴史ある中学校で、昭和27年開校、プールが大きいことで地元では有名なんだとか!
特にエピソードは見つかりませんでしたが、高校はラ・サールに進学しているので、学年でもトップっクラスの成績だったと推測されます。
鹿児島ラ・サール高等学校
中学卒業後は、鹿児島のラ・サール高等学校に進学しました。
ラ・サール高校は、偏差値77の超難関校として知られています。
鹿児島県内で1位、全国でも2位の高偏差値を誇る名門校です。
高校からの編入でしたが、なんと1年生の時に生徒会長選挙に立候補して当選を果たします。
このエピソードからも、岩屋さんの持つリーダーシップと行動力の高さが伺えます。
そして、この高校時代に運命的な出会いが待っていました。
現在ソフトバンクグループの会長兼社長を務める孫正義さんと親友になったのです。
40年以上経った今でも、二人は「孫」「岩屋」と呼び捨てで呼び合う仲だと言います。
まさか、あの孫正義さんと高校で出会っていたとは驚きですね。
早稲田大学政治経済学部
その後、早稲田大学政治経済学部政治学科に進学します。
大学時代は、政治家の登竜門として知られる早稲田大学雄弁会に所属しました。
早稲田大学雄弁会とは…1902年に設立された早稲田大学の弁論クラブで、単なるサークル活動ではなく、政治家やジャーナリスト、弁護士など、多くの著名人を輩出してきた歴史ある団体
この雄弁会からは、5人もの総理大臣を輩出しているんです。
- 石橋湛山
- 竹下登
- 海部俊樹
- 小渕恵三
- 森喜朗
そして、大学在学中に、岩屋さんの政治家への道が開かれることになります。
選挙のアルバイトを通じて、鳩山邦夫衆議院議員の事務所に出入りするようになったのです。
このアルバイト経験が、後の政界入りへの大きなきっかけとなりました。
岩屋毅の経歴
岩屋毅さんの経歴は
1987年:大分県議会議員初当選(29歳)
1990年:衆議院議員初当選
2001年:防衛庁長官政務官(第2次森内閣)
2006年:外務副大臣(第1次安倍内閣)
2018年:防衛大臣(第4次安倍内閣)
2024年:外務大臣(第1次・第2次石破内閣/現職)
となっています。
大分県議会議員初当選
大学卒業後、1980年に岩屋さんは鳩山邦夫さんの秘書として政界入りを果たします。
そして1987年、29歳という若さで大分県議会議員に初当選します。
大学卒業して、すぐに政治家に秘書とはかなり仕事ができるようですね。
衆議院議員
大分県議会議員に就任した3年後、1990年には第39回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、見事当選を果たしました。
選挙後、自民党に入党して宮澤派に所属します。
しかし、順風満帆に見えた政治家人生にも、大きな試練が待ち受けていました。
1993年、武村正義さんの誘いを受けて自民党を離党し、新党さきがけの結党に参加します。
ところが、その直後の衆議院選挙で落選してしまうのです。
その後、新進党に移籍しますが、1996年の選挙でも落選を喫します。
この7年間の浪人時代、3人の幼い子供を抱えながら、薬剤師の妻・知子さんの収入で生計を立てていました。
ある夜、帰宅した岩屋さんは大きな決意を迫られます。
3人の子供が川の字で眠る傍らで、仕事と育児に疲れ果てて眠る妻の姿を目にしたのです。
「政治家を諦めるべきかもしれない」と悩む岩屋氏に、妻は「パパはお国のために働く人なんでしょ」と笑顔で声をかけました。
この一言が、岩屋氏の再起を促すことになります。
2000年、自民党に復党して衆議院議員に返り咲きます。
以降、要職を歴任していきます。
- 2001年 第2次森改造内閣で防衛庁長官政務官
- 2006年 第1次安倍内閣で外務副大臣
- 2018年 第4次安倍改造内閣で防衛大臣として初入閣
- 2024年 石破内閣で外務大臣
現在、衆議院議員10期目を迎える大ベテランとなった岩屋さん。
身長178cmと大柄な体格で、政治家らしい風格も備えています。
英語力には課題があると言われていますが、通訳を活用しながら、豊富な政治経験を活かして外交の最前線で活躍しています。
これまでの紆余曲折の経験を糧に、今後も日本の外交に重要な役割を果たしていくことでしょう。
まとめ
鹿児島の名門・ラ・サール高校から早稲田大学へ、順風満帆に見えた岩屋毅さんのキャリア。
しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
7年間の浪人時代を経験し、妻の支えで再起を果たします。
高校時代の親友・孫正義氏との絆、医師の父と患者だった母の運命的な出会い、そして3人の子供たちの成長。
波乱に満ちた政治家人生の背景には、豊かな人間模様が織りなされているのです。
今後、外務大臣としてどのように進んでいくのか、楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。