阿部守一のwiki経歴!都立西高校出身の超高学歴で田中康夫のお気に入り!?

東大卒のエリート官僚から、長野県知事として4期目を迎える阿部守一さん。

その経歴は、日本の地方自治の変遷そのものを映し出しています。

今回は、阿部守一さんの学歴や経歴について調査していきます。

目次

阿部守一のプロフィール

https://www.jiji.com/jc/v2?id=20130620top_interview28_68photo
阿部守一のプロフィール

氏名:阿部守一(あべ しゅいち)

生年月日:1960年12月21日

出身地:東京都国立市

事務所:長野市中御所岡田町3-2 中沢ビル

最終学歴:東京大学法学部

前職:国家公務員・長野県副知事

趣味:まちの散策・ラジオ体操・カラオケ・読書

1960年12月21日、東京都国立市に生まれた阿部さん。

秋田出身の父と栃木出身の母のもとで育ちました。

幼少期、両親が地元との交流が少なかったため、夏休みに故郷へ帰省する友人たちをうらやましく思ったそうです。

阿部さんは長野県を第二の故郷と考え、深い愛着を持つ県庁近くの知事公舎で妻と生活しています。

中国との国際交流にも積極的に取り組んでいます。

阿部守一の学歴

阿部守一さんの学歴は

中学校:国立市立国立第二中学校
高校:東京都立西高校
大学:東京大学法学部

となっています。

小学校については明らかになっていません。

おそらく、中学校が国立市の公立中学校なので、小学校も国立市の小学校と推測します。

それでは、深掘りしていきましょう。

国立市立国立第二中学校

https://oh.openhouse-group.com/kanto/gakku/junior-high-school/13215/291/

阿部守一さんは国立市立国立第二中学校出身と言われています。

国立市富士見台三丁目にある公立中学校です。

運動部、文化部ともに活発なんだとか。

特別支援学級「A組」と特別支援教室「かがやき」を設置し、個々の生徒のニーズに対応しています。

阿部さんは、中学卒業後に都立西高校に進学しているので、学年でもトップレベルの成績を収めていたと推測できますね。

東京都立西高校

https://www.asahi.com/edua/article/14024845

学業優秀だった阿部さんは、東京都立西高校に進学します。

杉並区にある都立高校で、偏差値は70以上の都内有数の進学校です。

都立御三家(日比谷、西、国立)の1つで東京大学合格者数は都立高校で常に上位。

難関国立大学への進学実績も高いことで有名です。

生徒の自主性を重んじる校風で、校則はほとんどなく、服装も自由となっています。

阿部さんの高校時代のエピソードは見つかりませんでしたが、ここでも優秀な成績を収めていたんでしょうね。

東京大学

高校卒業後、東京大学法学部へと進学しました。

日本で最も古い法学部の一つとなっています。

法学部は3つに変われており

  • 第1類(法学総合コース): 法学を幅広く学び、多様な分野で活躍できる人材を育成
  • 第2類(法律プロフェッション・コース): 法曹(裁判官、検察官、弁護士)を目指す学生のためのコース
  • 第3類(政治コース): 政治学を中心に学び、政治家、官僚、ジャーナリストなどを目指す学生のためのコース

となっています。

阿部さんは法学部第2類を卒業しているので裁判官や弁護士を目指して入学したのかもしれませんね。

卒業時に法学士の称号も得ました。

法律と政治を専門的に学び、将来の行政官としての基礎を築きました。

阿部守一の経歴

阿部守一さんの経歴は

1984年:自治省(現総務省)入省
2001年:長野県企画局長、その後長野県副知事に就任
2004年:総務省過疎対策室長
2007年:横浜市副市長
2009年:内閣府行政刷新会議事務局次長
2010年:長野県知事に就任(4期目)

となっています。

詳しく見ていきます!

自治省に入省

大学卒業後、1984年、自治省(現・総務省)に入省ました。

全国各地を転々としながら、地方行政の実態に触れていきます。

山口県、岩手県、神奈川県、愛媛県など、様々な地域での勤務経験は、後の知事としての視野の広さにつながっていきました。

長野県との出会い

https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/feature/202201/0014974719.shtml

2001年、長野県企画局長として赴任。

同年10月には副知事に就任し、田中康夫知事の下で県政運営に携わります。

副知事は議会の同意を得なくてはなりませんが、知事の補佐をするという点で

田中康夫さんのお気に入りだったのでハニでしょうか。

この経験が、後の知事就任への布石となっていきました。

長野の自然と人々に魅せられ、第二の故郷と呼べる場所を見つけたのです。

横浜市副市長

2007年4月、横浜市副市長に就任。

「みどり税」の導入や、ごみ削減プロジェクト「G30」など、革新的な政策を次々と実現させました。

特に注目されたのが「しごと改革」です。

前例踏襲型の業務を見直し、職員が前向きに働ける環境づくりに尽力しました。

内閣府行政刷新会議事務局次長

2009年、内閣府行政刷新会議の事務局次長として、話題となった事業仕分けに関わります。

現場主義を重視し、積極的に民間人材を登用。

行政改革の新しい形を示し、事業仕分けのキーパーソンとなりました。

長野県知事

https://seijiyama.jp/article/news/nws20180330.html

2010年、長野県知事選に出馬し、僅か5,021票差という接戦を制して初当選を果たします。

「信州型事業仕分け」を掲げ、これまでの経験を活かした改革に着手。

現在、阿部守一さんは4期目の長野県知事として活動しています。

就任から14年が経過し、世論調査では支持率72.7%と高い水準を維持しています。

県民からの信頼が厚いことがわかりますね。

まとめ

長野県知事の阿部守一さんの学歴や経歴についてお伝えしました。

エリート街道を歩んできた阿部守一さんですが、その経歴は単なる出世コースとは異なる道のりでした。

各地での行政経験、そして長野との出会い、そして実は病魔に襲われた時期もありました。

それぞれの経験が、今の県政運営に活かされています。

4期目を迎えた今も、「一人一人の個性輝く長野県」の実現に向けて、地方創生への挑戦は続いています。

今後の阿部さんの活躍も楽しみですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、みーです!
 
埼玉在住の歯科衛生士です。

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