経済産業省出身の江崎禎英さん。
エリート官僚の道を歩んでいましたが、困った人を助けたいという思いから医師を目指していましたそうです。
30年以上にわたる官僚生活で培った経験と、故郷への深い愛着。
今回は、そんな江崎禎英さんの学歴や経歴についてまとめていきます。
江崎禎英のプロフィール
名前:江崎 禎英 (えさき よしひで)
生年月日:1964年11月27日
出身地:岐阜県山県市(旧美山町)
最終学歴:東京大学教養学部
前職:経済官僚・社会政策課題研究所所長
趣味:合気道
1964年11月27日、岐阜県山県市(旧美山町)に生まれた江崎禎英さんは、地域に深く根ざした人物です。
美山町立乾小学校、美山中学校を経て、岐阜県立加納高等学校へと進学しました。
その後、東京大学理科I類に入学し、教養学部国際関係論を卒業するという、理系から文系への異色の経歴を持ちます。
現在は岐阜大学の学長特別参与および客員教授として、教育の現場でも活躍しています。
文武両道の実践者でもあり、合気道六段の師範としての顔も持ち合わせています。
妻と元岐阜高校応援団長を務めた息子との3人家族で、2018年には自身の政策理念をまとめた著書「社会は変えられる」を出版しました。
江崎禎英の学歴
江崎禎英さんの学歴は
小学校:美山町立乾小学校
中学校:美山町立美山中学校
高校:岐阜県立加納高等学校
大学:東京大学
となっています。
伝統的な価値観を大切にする旧家の長男として育った江崎さんは、幼い頃から「家を離れてはならない」という言葉とともに過ごしました。
医師のいない地域で育った経験から、「困っている人を助けたい」という強い思いを抱き、医師を志すようになります。
しかし、岐阜県立加納高等学校に進学後に出会った一冊の本が彼の人生を大きく変えることになります。
担任の先生から譲り受けた「量子力学」の本に魅了された江崎さんは、医学の道か物理学の道か、進路選択に深く悩むことになりました。
最終的に、東京大学理科I類への進学を決意します。
大学での学びを通じて、江崎さんの興味は次第に国際関係へと向かっていきます。
そして、理系から文系への転向という大きな決断を経て、教養学部国際関係論への進学を選択したのです。
国際関係を学ぶ中で、江崎さんは「世界を動かしているのは経済である」という重要な気づきを得ます。
この認識が、後の通商産業省(現在の経済産業省)入省につながっていきました。
「戦争を止めたい。世の中の理不尽を減らしたい」という思いも、理系から文系に転向した1つの要因なのかもしれませんね。
江崎禎英の経歴
江崎禎英さんの経歴は
989年4月:通商産業省 入省(通商政策局)
1991年6月:大蔵省 証券局
1993年7月:通産省 産業政策局 新規事業振興室
1996年7月:英国留学(サセックス大学大学院)
1997年12月:欧州委員会 産業総局(DG III)
2000年:内閣官房内政審議室個人情報保護担当室
2004年9月:大臣官房総務課 企画室
2005年9月:資源エネルギー庁 エネルギー政策企画室長
2008年:岐阜県 総合企画部次長
2009年;岐阜県 商工労働部長
2012年:経済産業省 生物化学産業課長
2015年:経済産業省 ヘルスケア産業課長
2018年8月:厚生労働省 医政局統括調整官
2020年7月:内閣府 大臣官房審議官(科学技術・イノベーション担当)
2020年11月:退職
2021年:岐阜県知事選挙に初出馬・落選
2021年3月:社会政策課題研究所を設立・所長に就任
となります。
通商産業省入省
1989年、江崎さんは通商産業省に入省し、通商政策局でキャリアをスタートさせます。
その後、大蔵省証券局への出向。
通産省産業政策局新規事業振興室での勤務と、着実にキャリアを積み重ねていきました。
サセックス大学大学院へ留学
1996年には、視野をさらに広げるため、イギリスのサセックス大学大学院へ留学します。
リベラルアーツの修士号を取得していました。
留学後は、欧州委員会産業総局での勤務を経験し、グローバルな視点を養っていきました。
重要ポストを歴任
帰国後は、情報処理振興課や内閣官房内政審議室など、重要なポストを歴任します。
2005年には資源エネルギー庁エネルギー政策企画室長として、日本のエネルギー政策の舵取りに携わりました。
2008年から2012年にかけては、故郷・岐阜県で総合企画部次長、商工労働部長を務めます。
地域の実情に直接触れるこの経験は、後の知事選出馬につながる重要な布石となりました。
その後、経済産業省では生物化学産業課長、ヘルスケア産業課長などを務め、日本の産業振興に尽力します。
2018年には厚生労働省医政局統括調整官に就任し、医療行政の最前線でも手腕を発揮しました。
最後の役職となった内閣府大臣官房審議官(科学技術・イノベーション担当)では、日本の科学技術政策を担当します。
中央官僚としての活動の傍ら、江崎さんは毎月のように故郷の岐阜に帰省し、畑仕事や地域の祭りに参加していました。
この地域とのつながりを大切にする姿勢は、多くの県民の共感を呼んでいます。
2018年には著書「社会は変えられる:世界が憧れる日本へ」を出版し、自身の政策理念を広く発信しています。
そして、2020年11月、岐阜県知事選への出馬を決意し、30年以上に及ぶ官僚生活に区切りをつけました。
岐阜県知事選出馬
2021年1月に岐阜県知事選挙に無所属で出馬しましたが、次点で落選しました。
社会政策課題研究所
2021年3月、社会政策課題研究所を設立・所長に就任しました。
社会政策課題研究所は、コロナ禍で明らかになった日本の社会システムの脆弱性に対応し、持続可能な社会の実現を目指して設立された組織です。
主な取り組み課題として、
- 国民の納得感を得られるコロナ対策
- 地域の魅力向上による経済活性化
- 少子化対策と高齢化社会への適応
- 子どもの感性育成と生涯学習機会の確保
- 脱炭素社会への移行と持続可能な暮らしの実現
- 気候変動に対応した防災体制の構築
これらの課題に対し、単なる制度論による解決ではなく、地域の特性や生活環境を考慮した具体的な解決策を模索することを目指しています。
特に、大都市圏に隣接しながら自然豊かな環境を持つ岐阜県の特性を活かした取り組みを検討しています。
合気道師範
官僚としての輝かしいキャリアだけでなく、江崎さんは合気道六段の実力者でもあります。
合気道の師範であり、自身で道場を持っています。
天通合氣道誠心館道場と言って、岐阜市にあります。
週に1回、稽古しているようです。
まさに、文武両道って感じですね。
まとめ
江崎禎英さんの学歴や経歴についてお伝えしました。
地域医療の課題に触れ、国際経済を学び、様々な行政の現場で経験を積み重ねてきました。
そして今、その豊富な経験と郷土への深い愛着を胸に、新たな挑戦へと踏み出しています。
困っている人を助けたいという少年時代からの思いは、形を変えながらも、常に彼の原動力であり続けているようです。
今後の江崎さんの活躍が楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。