政治家の中でもユニークな経歴の持ち主として知られる達増拓也さん。
外交官としてのキャリアを経て、衆議院議員を務め、現在は岩手県知事を務めています。
高い学歴と豊富な国際経験を持ちながら、サブカルチャーにも精通した新しいタイプの政治家です。
今回は、そんな達増拓也さんの波乱に富んだ半生をご紹介します。
達増拓也のプロフィール
名前:達増拓也(たっそ たくや)
生年月日:1964年6月10日
出身地:岩手県盛岡市
身長:177cm
血液型:O型
最終学歴:東京大学法学部
前職:外交官・衆議院議員
達増拓也さんの奥さんは、元全日本空輸(ANA)の客室乗務員だった達増陽子さんです。
山口県萩市出身の陽子さんは、関西外国語短期大学を卒業後、ANAのCAとして活躍していました。
達増さんが外交官として活躍していた時期に出会い、結婚に至ったそうです。
陽子さんは政治家の妻として支えるだけでなく、2012年には日本未来の党から出馬するなど、自身も政治活動に携わっています。
なお、お子様についての詳しい情報は公表されていないようです。
プライバシー保護の観点から、家族に関する情報は控えめに発信されているのかもしれません。
達増拓也の学歴
達増拓也さんの学歴は
小学校:不明
中学校:不明
高校:岩手県立盛岡第一高等学校
大学:東京大学法学部第3類(政治コース)
ジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院
となっています。
小学校と中学校は公表されていませんでした。
岩手県立盛岡第一高等学校
生まれてから高校までを地元の岩手県で過ごした達増さん。
県立盛岡第一高等学校に通っていました。
偏差値69を誇る名門校で、岩手県内でナンバーワンの進学校として知られています。
長い歴史と伝統を誇り、数多くの優秀な人材・石川啄木や宮沢賢治といった著名人も輩出しています。
東京大学法学部
高校卒業後は、東京大学法学部第3類(政治コース)に進学しました。
東大の法学部は、日本で最も古い法学部の一つとなっています。
法学部は3つに分かれており、
- 第1類(法学総合コース): 法学を幅広く学び、多様な分野で活躍できる人材を育成
- 第2類(法律プロフェッション・コース): 法曹(裁判官、検察官、弁護士)を目指す学生のためのコース
- 第3類(政治コース): 政治学を中心に学び、政治家、官僚、ジャーナリストなどを目指す学生のためのコース
となっています。
達増さんは第3類なので、学生時代から政治家を目指していたのかもしれませんね。
また、東大時代は政治過程論の茅野修教授のゼミに所属し、国際問題研究会でも活動していたそうです。
この頃から国際的な視野を持ち始めていたのかもしれません。
ジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院
達増さんは大学卒業後、1988年に外務省へ入省します。
外交官として活躍する中、さらなる知識を求めて留学の道を選びます。
アメリカのジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院(SAIS)に進学したのです。
このSAISは国際関係学や国際経済学を学べる有名な大学院です。
留学中の達増さんは、充実した学生生活を送っていたようです。
毎週金曜日の夕方には、友人たちとローリングロックというビールを飲んで過ごしていました。
近所のバーやレストランに行ったり、誰かの家でパーティーを開いたりすることも。
日本のアニメについて通訳をする機会もあったとか。
留学時代の友人たちとは今でも交流が続いているそうです。
特に印象的なのは、2011年の東日本大震災の時のエピソードです。
当時の留学仲間から励ましの連絡があり、それが大きな支えになったと語っていました。
達増拓也の経歴
達増拓也さんの経歴は
1988年:外務省
1996年:衆議院議員
2007年:岩手県知事
となっています。
詳しく見ていきましょう!
外務省入省
達増さんは大学卒業後の1988年4月に外務省へ入省します。
そこから外交官としてのキャリアがスタートしました。
外務省時代の同期には、
- 赤松武さん(元南スーダン大使)
- 堤尚広さん(南スーダン大使)
- 松本太さん(シリア臨時代理大使)
がいます。
外交官として活躍する中、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学国際研究高等大学院(SAIS)に留学しました。
1991年に大学院を修了した後は、在米大使館書記官として活躍します。
その後、在シンガポール日本国大使館二等書記官を務めました。
外務省経済局先進国首脳会議準備事務局での勤務も経験しています。
外務省国連局科学課、外務省大臣官房総務課課長補佐なども歴任しました。
衆議院議員
1996年、政治家への転身を決意します。
第41回衆議院議員総選挙に新進党から出馬し、見事初当選を果たしました。
当時は「小沢チルドレン」と呼ばれた議員の一人でした。
小沢一郎さんの最側近として活動し、「小沢学校の優等生」とも呼ばれていました。
特筆すべきは、中選挙区時代に小沢氏の地盤ではなかった県北部で4回連続当選を果たしたことです。
国会議員時代は、様々な委員会で活躍しました。
予算委員や憲法調査会委員、文部科学委員などを務めています。
財務金融委員、経済産業委員・理事、商工委員・理事なども歴任しました。
岩手県知事
2007年、新たな挑戦として岩手県知事選に出馬します。
民主党の推薦を受けての立候補でした。
陣営は「圧倒的勝利」を目標に掲げ、見事達成します。
次点の自民党候補に3倍の差をつける大勝利でした。
その後も順調に県政のトップを務めています。
知事としての達増さんは、ユニークな取り組みも行っています。
例えば、小学校で世界遺産の授業を行ったことがあります。
また、サブカルチャーへの理解も深く、マンガを活用した地域振興にも力を入れています。
「いわてマンガプロジェクト」を立ち上げ、「ゴーガイ!~岩手チャグチャグ新聞社~」を発行。
『コミックいわて』では、自ら責任編集者を務めました。
東日本大震災の復興企画では、「ジョジョの奇妙な冒険」で知られる荒木飛呂彦さんに依頼。
「東北復興平泉宣言」のイメージイラストを制作してもらいました。
趣味は合唱とテニス、好きな言葉は「浩然の気」だそうです。
これは母校・盛岡第一高等学校の校歌にも登場する言葉です。
身長177センチの長身で、スーツがよく似合う知事として知られていますよね。
まとめ
岩手県知事の達増拓也さんについてお伝えしました。
外交官から政治家へ、そして県知事と達増拓也さんは常に新しい挑戦の連続でした。
今後も岩手県の発展のため、さらなる活躍が期待できますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。