「女性知事としての先駆者」「行動派リーダー」として知られる山形県知事の吉村美栄子さん。
実は、波乱に満ちた人生を送っているんです。
今回は、そんな吉村美栄子さんの経歴について紹介していきます!
吉村美栄子のプロフィール
まず、吉村美栄子さんのプロフィールから紹介していきます。
氏名:吉村美栄子(よしむら みえこ)
旧姓:鈴木
生年月日:1951年5月18日
出身地:山形県西村山郡大江町沢口
趣味:草木染・草花鑑賞・温泉めぐり
1951年5月18日、山形県西村山郡大江町沢口に生まれました。
山形県立山形西高等学校を卒業後、お茶の水女子大学教育心理学専攻に進学します。
卒業後は、1974年にリクルートに入社しました。
吉村美栄子さんは、教育者としてのキャリアをスタートし、現在は山形県のリーダーとして活躍されています。
特に教育改革や産業振興、環境政策などの分野で実績を残しています。
吉村美栄子の経歴
吉村美栄子さんの経歴は
1974年:リクルート入社
1977年:退社
1997年:山形市総合学習センターで非常勤教育相談員として勤務開始
1998年:山形県教育委員に就任、総合政策審議会、入札監視委員会など多くの委員を担当
2000年:行政書士開業
2008年:スペシャルオリンピックス日本冬季ナショナルゲーム・山形でボランティアスタッフとして活動
2009年:山形県知事選に出馬し初当選、東北地方初の女性知事となる
2013年:山形県知事選で無投票当選(2期目)
2017年:山形県知事選で無投票当選(3期目)
2021年:山形県知事選で当選(4期目)
となります。
リクルート社を退社後、20年のブランクがありますが県知事を務めるところまで上りつめました。
それでは、深掘りをしていきましょう!
1974年:リクルート入社
卒業後は、1974年にリクルートに入社し、キャリアをスタートさせます。
しかし、1976年の結婚を機に退社することになります。
その後の人生は、予期せぬ展開の連続でした。
夫の母親の病気をきっかけに、1978年に長女を連れて山形に帰郷します。
夫は司法試験のため東京に残り、吉村さんは義父母と同居しながら子育てに専念する日々を送ります。
1997年:専業主婦から社会復帰
1997年、吉村さんは46歳という若さで最愛の夫を病気で失います。
この突然の出来事は、吉村さんの人生を大きく変えることになりました。
社会復帰を決意した吉村さんは、山形市総合学習センターで非常勤教育相談員として勤務を始めます。
そして1998年、県の教育委員に就任し、行政との関わりを深めていきます。
教育現場での経験を活かしながら、様々な委員会でも活動の幅を広げていきました。
非常勤で働き始め、1年で県の教育委員に就任ってどんだけエリートなんでしょうか。
そして、2000年には行政書士を開業し、より多くの市民と関わる機会を得ます。
2009年:山形県知事
2009年、吉村さんは大きな決断を下しました。
山形県知事選挙への出馬を決意したのです!
当時の選挙は、麻生内閣成立後初の与野党対決となる大型選挙でした。
現職の齋藤弘氏に対し、吉村さんは野党や労働組合の支援を受けて戦います。
リーマン・ショック後の雇用危機に対応するため、「雇用創出1万人プラン」を掲げました。
また、農林水産業の再生や義務教育の少人数学級完全実施なども公約に掲げます。
事前の予想を覆す形で、吉村さんは見事に初当選を果たしました。
これにより、全国で6人目、東北地方では初の女性知事が誕生したのです。
実績を重ねた県政運営
吉村知事の県政運営は、具体的な成果を次々と生み出していきます。
3年連続で待機児童ゼロを実現し、子育て支援を充実させました。
全国に先駆けて小中学校の少人数学級編制を完全実施します。
医療面では、ドクターヘリの導入や総合周産期母子医療センターの開設を実現。
産業面でも、農林水産業の産出額3000億円達成という大きな目標を達成しました。
特に力を入れたのが「やまがた森林ノミクス」という独自の政策です。
これは森林資源を活用した産業振興と雇用創出を目指す取り組みでした。
災害対応でも手腕を発揮
2011年の東日本大震災では、隣県の被災地支援に全力で取り組み、延べ3,000名以上の職員を派遣しました。
山形空港を24時間運用し、救助活動の拠点として機能させます。
また、全国最多となる13,000名以上の避難者を受け入れました。
さらに、牛肉の放射性物質全頭検査を全国に先駆けて実施するなど、安全対策にも尽力しました。
吉村さんが山形県知事を4期務めていることから、県民からの信頼が厚いことがわかりますね。
まとめ
山形県知事の吉村美栄子さんの経歴についてお伝えしました。
「子育てするなら山形県」の実現や「健康長寿日本一」など、新たな目標に向かって邁進しています。
デジタル化の推進や県民所得の向上にも力を入れ、常に前を向いて挑戦を続けています。
山形県の発展に向けて、まっすぐな信念を持って歩み続ける吉村美栄子さん。
その姿勢は、多くの人々の心を動かし続けているのです。