宮城県知事の村井嘉浩さん。
政治家の家族というと、世間の目を気にして表に出ることが少ないものです。
しかし、村井嘉浩さんの家族は少し違います。
特に東日本大震災では、妻の一美さんと2人の娘が率先してボランティア活動に参加しました。
知事夫人という立場を意識しながらも、黙々と復興支援に汗を流す姿が印象的でした。
今回は、そんな村井さんの家族について調査していきます!
村井嘉浩のプロフィール
名前:村井嘉浩(むらい よしひろ)
生年月日:1960年8月20日
出身地:大阪府豊中市
役職:宮城県知事(4期目)
最終学歴:防衛大学校
前職:陸上自衛官
趣味:茶道、ウォーキング
村井嘉浩さんは、1960年8月20日に大阪府豊中市で生まれました。
地元の私立大阪明星高校を卒業後、防衛大学校本科(理工学専攻)に進学しました。
1984年に卒業と同時に陸上自衛隊に入隊し、ヘリコプターパイロットとして活躍します。
その後、1992年に自衛隊を退官し、松下政経塾に入塾。1995年の卒塾後、宮城県議会議員選挙に出馬し当選します。
県議を3期務めた後、2005年に宮城県知事選に無所属で立候補し初当選。
以来4期連続で県知事を務め、自衛官出身者として初の都道府県知事となりました。
2017年の選挙では宮城県政史上最多得票を記録し、県民からの厚い信頼を得ています。
村井嘉浩の家族構成
村井嘉浩さんの家族構成は
村井嘉浩
妻:一美
長女
次女
の4人家族となっています。
それでは、1人ずつ深掘りをしていきましょう!
村井嘉浩の嫁
村井嘉浩さんの奥さんは、一美さんです。
「村井の秘書兼ドライバー」と自身を称する一美さんは、政治家の妻としての立場を常に意識していました。
震災時の体験は、この家族にとって大きな転換点となりました。
自宅での2週間に及ぶ停電と断水を家族で乗り越えた経験は、絆を一層強めたはずです。
一美さんは、全国から集まる若いボランティアの姿に感銘を受けたと語っています。
「日本は大丈夫、意外に大したもんだ」という言葉には、深い感動が込められています。
このような経験を通じ、村井家は公私ともに充実した関係を築いているようです。
そして、震災後の混乱の中で「何かできることをしたい」という強い思いが芽生えたと言っています。
一美さんは、46歳の時に東日本大震災のボランティア活動に献身的に取り組みました。
夫である村井知事は
と、妻のボランティア活動を全面的に支持しました。
一美さんは仙台市の宮城野体育館のボランティアセンターに登録し、地道な活動を始めました。
センターのスタッフは一美さんが知事夫人だとは気づかなかったそうです。
黙々と泥かきに励む姿は、他のボランティアと何も変わらなかったのでしょう。
特に印象的なのは、蒲生地区での側溝清掃作業でのエピソードです。
30度を超える猛暑の中、腰痛バンドを着けながら重い泥と格闘する姿がありました。
「臭いし、スコップ1杯でも重くて大変でした」と、当時を振り返る一美さんの言葉が印象的です。
家族の絆は、震災ボランティアを通じてさらに深まっていきました。
和美さん自身も被災者のはずなのに、ボランティアだなんてなかなかできることではないですよね。
また夫婦仲の良さは有名で、娘たちからも「のろけすぎ」とツッコまれるほどだとか。
一美さんは2013年まで「村井よしひろ後援会事務所」のFacebookで時折投稿していました。
その内容からも、家族を大切にする温かな人柄が伝わってきます。
村井知事の趣味である茶道やウォーキングにも、家族で楽しむこともあるようですよ。
村井嘉浩の子供
村井嘉浩さんには、2人の娘さんがいます。
長女:希衣
次女:志帆
上の画像は村井さん、奥さん、娘さんの画像なのですが、どちらの娘さんかはわかりませんでした。
村井嘉浩の長女
村井嘉浩さんの長女は希衣さんです。
希衣さんは早稲田大学を卒業し、社会人として自身の道を歩んでいます。
実は、希衣さんも早稲田大学3年生の時に、母親のボランティア活動に加わっています。
母親である一美さんは、予想以上の頑張りに感動したといいます。
「黙々と仕事をしてくれて、正直見直しました」という言葉からは、母としての喜びが伝わってきます。
震災から10年以上経っているので、希衣さんは現在30代前半くらいと推測されます。
村井嘉浩の次女
村井嘉浩さんの次女は、志帆さんです。
志帆さんは留学経験を持つ国際派として知られています。
留学先から帰国後、震災ボランティアに志帆さんも活動に加わりました。
留学先などは明らかにされていませんが、志帆さんも秀才なんでしょうね。
まとめ
宮城県知事の村井嘉浩さんの家族についてお伝えしました。
政治家の家族は表舞台に立つことが少ないものですが、村井家の場合は違います。
震災という未曽有の災害に際して、妻の一美さんは「何かできることをしたい」という思いから、ボランティア活動に身を投じました。
その姿に触発された2人の娘たちも活動に参加し、家族の絆はさらに深まりました。
知事夫人という立場を意識しながらも、一市民として黙々と復興支援に汗を流す姿勢は、多くの人々の心を打ちました。
村井家の「普通の家族」としての在り方は、政治家家族の新しいモデルケースとなったのかもしれません。
これからも村井家の絆は、宮城県の未来を支える大きな力となっていくことでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。